Top | Biglobe Top | Wyvern | PhotoScrap | Visor | SiteMap

■098 思索する夜 2004/08/08

 人に裏切られ、失意のうちに自ら命を絶ってしまう者と。
 人を裏切り、望むものを手にしたにもかかわらずその影に怯え暮らし、ついに命を絶ってしまう者と。
 そのどちらが幸福であるのだろうか。
 そんな益もないことが脳裏を過ぎった。

 数年ぶりに夏目漱石の「こころ」を読み、その読後に抱いた疑問だった。
 私は矮小で卑怯な性質であるから、いつか人を裏切ってしまう。そしてそうだと分かりつつもそうしてしまうことに怯えを抱いている。私は私の性質を知るが故に自身を忌み嫌うのだ。

 私は「先生」のように人というもの全てを嫌うものではないけれど、多くの人を善しとしながらも常に自分自身を悪しと思い忌み嫌ってきた。自分が卑怯な性質であることがたまらなく嫌で、その為積極的に人に踏み込んでいくことに怯えていた。周りには善き人が多く居てくれる。その善き人たちに深く踏み込んでしまったあとで裏切って傷つけてしまうことに怯えを抱くのである。

 かつて自身の命を絶とうと思っていた時期がある。最初に感じたのは確か15の頃だった。自身の性質がたまらなく嫌だったのだ。その頃から他人に嫉妬するだけの自分を好きにはなれなかった。今も自分を好きには到底なれないのだけれど、その頃は何もないくせに人に嫉妬するだけの自分が嫌だった。

 自身の中に無垢な部分がわずかでも存在することは知っている。その部分は私を人として人たらしめる唯一無二の部分である。世界の美しさを感じ、一人の女性を愛しむ事ができ、世にある様々なことに感動を覚えることができる、かけがえのない部分である。
 そしてそれとまったく反駁する、人を裏切ることでしか年月を重ねることができない自分自身を知っている。かつてはどちらが本当の自分なのかなどということも考えはしたが何のことはない。月並みなことに相反する2つの性質はやはりどちらも自分自身なのである。

 私は今、一人の女性を愛している。その心には一点たりとも偽りはない。けれども自身にある闇が、私をそれ以上前には進ませないのである。私は私自身が人を傷つけることしかできない、どうしようもないものだとわかっているから。そうであると分かっているからこそ、大切な人を傷つけてしまうのが怖いからこそそれ以上進めない。

 しかしもう一方の自分は前に進みたくてしょうがない。その人を愛し、愛しているからこそ傍にいたい。その女性の喜び、微笑み、悲しみ、悩み、そういった彼女の全てを傍で感じたい。

 人は矛盾を抱えるもの、などと訳知り顔で言いたいわけじゃない。ただ一人の人間として自身が抱いている相反する感情をどうしていいか持て余しているのだ。
 この状態になって幾月経ったのか。未だ答えは見えず、ただ光と闇の境界線をふらふらとさまよい続けているのだ。時には愛しい人と共に居てこの胸にある愛しみを語りたい衝動に駆られる。しかしまたある時にはいかにも厭世的に自身を切りつけ、その身その心を亡き者にしようとする。


 人に裏切られ、失意のうちに自ら命を絶ってしまう者と。
 人を裏切り、望むものを手にしたにもかかわらずその影に怯え暮らし、ついに命を絶ってしまう者と。
 そのどちらが幸福であるのだろうか。

 どちらにしても人を裏切らなければ生きていけない、矮小で卑怯な性質である自分にとって幸福を願うという行為は遠く儚いものに思えてならないのだった。



メインページに戻る
tatuya@holythunderforce.com
Written by tatuya,since 1998-
powered by araya ver.0.91