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■048 幼い私よ 2000/05/08

 久々に机を整理していると小学生の頃の作文が出てきた。まだあったのか、こんなもの。

 話は多少変わるが、数ヶ月前に小学校の同窓会があった。そこで10年ぶりに出会った各種知人どもから「変わってねぇなぁ、お前」と言われ、それが少々引っかかっていたのだ。
 実は私は小学生の頃の自分の性格というものをあまり覚えていないのだ。実際どうだったのだろうか。私は幼少のみぎりから斯様な性格であったのだろうか。そうだといわれればそんな気もするし、違うと言われれば違う気もする。要するに記憶があやふやなのだ。
 そこにきてこの作文である。多少なりとも幼少の頃の私というものを知る手がかりになるのではないだろうか。まあ、別に分からなきゃそれでも一向に構わないのだが、そう入っても目も通さずにむざむざ捨てるのも忍びない。そう言う経緯から私はそれを手に取った。その作文は拙く、汚い字で書いてあった。「僕の夢」と。字が汚いのは変わっていないようだ。早速読んでみる。



 うひゃひゃひゃひゃ。読み出した私はいきなり笑う。いやぁ、面白いこと面白いこと。笑わせるなぁ、昔の私よ。
 その幼い自分が言うには「僕の夢は車をうんてんすることです」とのことだ。小学生の「夢」というにはあまりに現実的すぎやしないだろうか。そんなものは運転免許と車の購入という2つのプロセスをこなせばすぐにできる。わが国におけるまっとうな成人男子ならば8割以上の方が運転免許を取得する。そこまで行けば車の運転などもはや問題にはならない。そんな簡単なことを夢と言い切ってもよいものだろうか。普通、プロ野球の選手になるとかパイロットになるとかアラブの石油王になるとかドクター中松を超える発明家になるとかいろいろと叶え難い夢を抱くものではないのだろうか、小学生の時分などは。
 しかも理由は「その車で好きなところに行くのです」だとおっしゃっておる。そんな事でよいのだろうか。そんな浅墓な望みでいいのか、幼い私よ。

 更に幼い私は言い募る。「次に、僕はアルバイトがしたいです」またまたその後には理由が続くのだ。昔の私は非常に直球的な文章を書いていたのだな。単純明快。ストレート。シンプル。そういった言葉が非常によく似合う文章の構成なのだった。 主張する。そしてその後に理由を述べる。それで完結するというのが当時の私の文章のスタイルらしい。そこには反論の入る余地や横道に逸れるといった趣はないらしい。大変判り易くていいが、もうちょっとドラマチックに他方向に広がる方が読者の目を引きつけられるのではなかろうか。

 と言いつつ脱線してしまっているのは今の私の文章の欠点であろうか。ともかく話を戻すとアルバイトをしたい理由には至極明快なそれが書かれていた。「そのお金で欲しいものをいっぱい買うのです」シンプルだ。金を稼いで物を買う。現在の社会において当然の成り行きといえよう。ただ、なぜに社会人になるのではないのだろう。会社に勤めればもっと金は入るのだぞ、幼い私よ。



 その後に理由があった。何と現在のさっきの私の質問の答えだ。「そしていろんなところに行って好きなことをするのです」
 負けた。脱帽だ。君にはかなわない。幼い私よ。適当に働いてちょっと金を稼いで好きなことをする。何だか非常にうらやましい生活形態がそこにはあった。
 そして、それは今の私の目標と何ら変わらないのだった。

 いやぁ、かわってねぇなぁ。



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